2014年10月09日
紀州家から伝わった御船唄
2004年1月1日沼津朝日さんの記事に戸田のご紹介をTOPページにしていただいてます。
「紀州家から伝わった御船唄」
県指定文化財の「戸田の漁師踊り・漁師唄」。漁師唄は、御船唄(せきふね)と祝歌に分けられ、祝歌には江戸末期から行われるようになった大漁を願う漁師踊りがついている。
お船唄は、1629年~43年の寛永年間に紀州の儒学者によって作詞された。「黄帝(皇帝)」「松」「初春」「月見」「酒」「いなり」「さくら」の7曲は紀州家御用船の舟歌として歌われていたもので、1777年(安永6年)、戸田の漁名主・船名主の勝呂家(現在は千本中町で医院を開業)が、紀州家から千石船を拝領した時に伝えられた。
千石船は、井田などで切り出した石を江戸や紀州に運ぶためのもので、江戸城構築などに使われた。
毎年1月2日、勝呂家に漁師が招待され、紀州家から頂いた鯨の肉を肴にして歌い始めるのを慣例とし、明治維新まで続けられたという。現在では、戸田村漁師踊り保存会の人々によって継承されている。
漁師踊りの中には、戸田村で行われていた鯨漁にちなんだ「鯨突き(突き棒)」もある。
なんで一生懸命に漁師踊り保存会の方が継承してるのか、この記事でわかりました石原です。
「紀州家から伝わった御船唄」
県指定文化財の「戸田の漁師踊り・漁師唄」。漁師唄は、御船唄(せきふね)と祝歌に分けられ、祝歌には江戸末期から行われるようになった大漁を願う漁師踊りがついている。
お船唄は、1629年~43年の寛永年間に紀州の儒学者によって作詞された。「黄帝(皇帝)」「松」「初春」「月見」「酒」「いなり」「さくら」の7曲は紀州家御用船の舟歌として歌われていたもので、1777年(安永6年)、戸田の漁名主・船名主の勝呂家(現在は千本中町で医院を開業)が、紀州家から千石船を拝領した時に伝えられた。
千石船は、井田などで切り出した石を江戸や紀州に運ぶためのもので、江戸城構築などに使われた。
毎年1月2日、勝呂家に漁師が招待され、紀州家から頂いた鯨の肉を肴にして歌い始めるのを慣例とし、明治維新まで続けられたという。現在では、戸田村漁師踊り保存会の人々によって継承されている。
漁師踊りの中には、戸田村で行われていた鯨漁にちなんだ「鯨突き(突き棒)」もある。
なんで一生懸命に漁師踊り保存会の方が継承してるのか、この記事でわかりました石原です。